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平成14年 8月31日(土) 晴れ

11:45 京都の等持院へ。
 等持院


 等持院は、足利尊氏が衣笠山の山上にあった仁和寺の支院を麓の現在地に移し、暦応年間(1338〜42)に夢窓国師を開山として、臨済宗の寺として中興したのに始まる。
 尊氏没後ここで葬儀を行い、尊氏の法号をとって等持院と改め、天竜寺末寺として夢窓門流相承の寺となった。以後足利歴代将軍の廟所となった。


 霊光殿には、中央に足利尊氏の念持仏とされる地蔵尊を本尊として、周囲に足利幕府歴代将軍の木像13体を安置している。5代・足利義員(よしかず)と14代・足利義栄(よしひで)が欠けている。
足利 尊氏 足利 義満
足利 義政 足利 義昭


 等持院には、室町時代初期の僧侶である、夢窓疎石が設計した庭園がある。
 方丈の後ろの庭園が、心字池中心の東庭である。西庭には、中島のある芙蓉池がある。



         足利尊氏の墓


  相国寺(しょうこくじ)
 同志社校地の北側に相国寺(臨済宗相国寺派本山)がある。
 足利義満が、花の御所の東方に一大禅寺の建立を志し、春屋妙葩(しゅんおくみょうは)を開山として1392(明徳3)年8月から10年をかけて相国寺を完成したものである。
 相国寺は、応仁の乱で全焼、1551(天文20)年にも細川春元と松永久秀の攻防戦でも全焼した。
 その後豊臣・徳川両氏や後水尾天皇の援助を得てしだいに復興した。しかし天明の大火で法堂・浴室・勅使門を残して全焼、文化年間(1804〜18)に再建された。





 法堂(国重文)は無畏堂ともいわれ、豊臣秀頼の寄進である。桃山時代の禅宗仏堂の代表作といわれ、内部は瓦敷き、中央須弥壇上に本尊釈迦如来を安置し、天上の竜は狩野光信筆といわれる。




  阿弥陀寺


 阿弥陀寺では、本能寺の変時、織田信長の遺体を荼毘に付したといわれている。
 墓地の信長父子やその家臣120名余の墓がある。

        織田信長・信忠の墓所